終わった。。。5月31日(日)11:00過ぎに湯河原に着き、そして温泉に入る。
それだけでもう、十分なのだ。
このイベント、最初はどうかなぁぁぁ?と思っていた。
「なんでもあり」というルールが、逆に不安だった。毎年3月に行われる100kmウォーク湯渡し100の番外編で、今回は湯河原をゴールとした100kmを進む、というもの。電車でもいい、車でもいい、新幹線でも構わないと言う。それはもはや「大会」ではないのではないか。ゆる過ぎて、終わってみれば何も残らないんじゃないか。
でも、走ってみてわかった。

自由というのは、思っているより不自由だ。=だからやりがいがあるのだ。
そもそもエイド、チェックポイントもない。なんなら開会式やゴールでのセレモニー的なものも(第0回は)ない。誰も「ここを曲がって」と言ってくれない。5月31日の10-14時に湯河原にたどり着いていればそれでいい。ただそれだけ。どう行くか、全部、自分で決める。
私のスタートは少し変則だった。元住吉の住吉神社での受付を終えたあと、そのまま自転車でみなとみらいへ。そこでいったん仕事をする。仕事後、夜19時にようやく出発した。
(でもまあ、あとで気づいたが、これは全く変則的ではないのだ。このイベントでは。)

神奈川を100km、完全逆ルートで湯河原へ向かうと決めていた。歩いて、走って、ひたすら西へ。
走るのは好きだったが、走り続けるのはあまり得意ではない。どちらかといえば歩くほうが性に合っている。ロードのウルトラマラソンに良い思い出がない。長い距離のランニング大会はいつも途中で歩く。横浜マラソンだってそうだ。そういう自分だと思っていた。
それでも今回は、なるべく走ってみようと決めていた。特に理由はない。強いて言えば、「せっかく逆走するなら、自分にも何か逆のことをしてみようか」くらいの、軽い気持ちだった。
終わってみれば意外と走れたのだ。
思ったより、ずっと走れた。脚が動いている。呼吸が続いている。夜の国道を、黙々と走っている自分がいる。それがなんだかおかしくて、少しうれしくて、暗い道をにやにやしながら進んでいた。ゾーン、というヤツだ。
誰かに報告する話でもない。タイムを競っているわけでもない。でも、確かに自分の中で何かが更新された感覚があった。長年「自分はあまり走れない」と思っていたのに、走ってみたら走れた。それだけのことが、妙に誇らしかった。
自分で自分を、こっそり褒める。それでいいと思う。湯渡し逆は、そういう個人的なチャレンジを自分で設定できるウォーキング・ランニングイベント、いや、旅イベントなのだ。
今回、参加者の動き方は本当にバラバラだった。
いきなり新幹線で湯河原へ飛んだ人。小田原で一泊してゆっくり向かった人。全歩きを目指していたが暑さのためバスを使った人。途中でカラオケに寄った人——カラオケ。。。これが大会である。これが湯渡し逆なのだ。
誰も間違っていない。全員が正解だ。
湯渡し逆にはDNFという概念がない。電車に乗った瞬間に失格になる大会ではないし、神奈川を100km歩き切ることだけが目的でもない。「どう湯河原へ行くか」を楽しむ、それだけが問われている。だから暑さに負けてバスに乗っても、それはその人の旅の選択であって、敗北じゃない。
「なるべく地元の店で食べる」と決めてもいい。「電車と徒歩を組み合わせて観光名所を回る」でもいい。自分だけのテーマを一つ持ち込むだけで、100kmの旅はがらりと変わる。そのゆるさが、かえって「自分のレースを作る」という意識を引き出していた。

ゴールの湯河原では、「ぶらん市」が開かれていた。
駅前商店街に人が集まり、地元の空気がある。湯渡し100のスタッフが集まるテントがある。みなさん温かく迎えてくれた。
「おかえりなさい!」
その賑わいの中に「ゴール」があった。フィニッシュテープも大音量のアナウンスもない。でも、たどり着いた、という実感は確かにあった。
そして、温泉。
湯河原の日帰り温泉券を手に、汗と疲労を全部流した。
これが良い。16時間も動き続けた体が、じんわりと解けていく。「頑張った」ではなく、「旅をした」という余韻だ。通常のウォーキングイベントはゴール後そのまま帰るだけになりがちだが、湯渡し逆はゴールしてから「まだ楽しい時間」が続く。エントリー時にいただいたぶらん市の食券を使いビールや食事を堪能し、そして温泉に入って、それから電車で帰る。この設計が、じわじわと効いてくる。
この第0回、名前に「0」がついている意味を最後になって実感した。
まだ何も固まっていない。ルールも、コースも、形式も、これから参加者みんなで作っていく段階にある。だから今回関係した方々は、ある意味でみんな「共犯者」だ。次の回が面白くなるかどうかは、この0回で何が起きたかに懸かっている。
参加を見送った方へ。
今回は「様子見」だったかもしれない。でも、神奈川100kmを自分なりに解釈して完遂した人たちの顔を見ていたら、きっと悔しくなるはずだ。
次は、あなたが「自分のレース」を作る番なのだ。
次は秋、らしい。らしい、というのがまた湯渡し逆らしくていい。