ゴールが温泉なら、どんな道を選んでもいい。─「湯渡し逆」という旅の哲学

ルールを聞いたとき、思わず笑ってしまった。自由過ぎて。

スタートは元住吉。ゴールは湯河原の温泉。それだけ。

どうやって行くかは、自分で決めていい。歩いてもいい。走ってもいい。自転車でもいい。電車に乗ってもいい。途中で大山に登ってもいい。蛭ヶ岳を越えてもいい。江の島に寄り道してもいい。眠くなったらどこかで一泊してもいい。

要するに、「湯河原に向かえばいい」。

それだけが、このイベントのルールだ。テスト的に開催するという「第ゼロ回」にしても自由過ぎる。


ゴールが決まっているから、道は自由になる

ふつうのウォーキングがランニングイベントは、ルートがある。

何キロのコースを、何時間以内に歩いてください。チェックポイントを通ってください。コースを外れないでください。そういうルールが積み重なって、参加者は「正解の道」を歩くことになる。もちろん「コース案内が曖昧だから迷ってしまった」的な苦情も、ない。

湯渡し逆はちがう。

正解の道が、ないのだ。あるのはゴールだけ。元住吉から湯河原まで、神奈川を西へ向かう、その一点だけが全員に共通している。あとは、自分の体と気分と時間と体力と、その日の気象条件と相談しながら、自分だけのルートを作ればいい。

これは、一見するとシンプルなようで、実はかなり挑戦的な設計だと思う。

なぜなら、「何をしてもいい」という状況は、人間を最も試すからだ。

「どこへでも行っていい」と言われた瞬間、人は立ち止まる。どこへ行けばいいのか、何をすればいいのか。自由は、使い慣れていない人間には少し重い。

だからこそ、「ゴールが温泉」というのは絶妙なのだ。

方向は決まっている。西へ向かえばいい。目的地は明確だ。湯河原の温泉に入る。その確かさが、すべての自由を支えている。どれだけ遠回りしても、どれだけ変なルートを選んでも、最後に温泉があるなら、すべての選択は正解になる。

ゴールと温泉の時間が決まっているので注意は必要だが・・・


神奈川という舞台の「厚み」

元住吉から湯河原まで、直線距離でおよそ80キロ。ルートによっては100キロを超える。

この神奈川という舞台が、じつは途方もなく豊かだ。

海沿いを走れば、江の島の灯台、大磯の松並木、真鶴半島の三ツ石が待っている。山側に入れば、大山の鎖場、丹沢の尾根、蛭ヶ岳からの大展望が待っている。歴史を辿れば、旧東海道の箱根越え、鎌倉の古道、大磯に眠る吉田茂の足跡がある。

どのルートを選んでも、神奈川の「厚み」に触れることになる。

湘南の海岸沿いを自転車で駆け抜けるのも神奈川だ。丹沢の山頂で夜明けを迎えるのも神奈川だ。東海道線の各駅停車で、気が向いた駅で降りてぶらぶらするのも神奈川だ。その全部が、湯渡し逆という旅の中に収まっている。

「神奈川100kmウォーク」という名前の大会が生み出した逆走企画が、こんなにも神奈川の豊かさを掘り起こすとは、正直、驚いている。元々は湯渡し100の正規ルートは平塚や藤沢、鎌倉、戸塚付近が夜から朝方なので、コンビニ以外のお店はほぼやっていない。なので明るいうちにこれらエリアを通過し、できればお金を落としてもらえたら・・・という狙いもあるようだ。


自由な旅ほど、記憶に残る

思い返してみれば、旅の記憶というのは、だいたい「予定外のこと」で構成されている。

乗り換えを間違えて迷い込んだ商店街のこと。雨宿りで入った喫茶店のマスターの話。地図に載っていなかった展望台から見た夕暮れ。そういう、計画にはなかったものたちが、旅の本体になっていく。

湯渡し逆は、その「予定外」が最初から許されている旅だ。

箱根の旧東海道を歩いていて、石畳の美しさに足が止まる。大山の山頂で予想外の強風に吹かれて、なぜか笑いがこみあげてくる。藤沢で江の島に向かうかどうか15分悩んで、結局行ってしまう。そういう一つひとつの選択と、その結果の積み重ねが、この旅を「自分だけの旅」にする。

誰かと同じルートを歩いても、同じ景色を見ていない。同じ時間に同じ場所にいても、感じることは全員ちがう。それが旅の本質だと思うし、湯渡し逆はその本質に、正直に向き合っている企画だと思う。


「元住吉から湯河原へ」という問いを、自分に投げかける

参加を迷っている人に、参加した場合を想像してほしい。

あなたなら、どうやって湯河原へ行きますか?

電車で一本、1時間半で着く。それは確かだ。でも湯渡し逆に参加するということは、「1時間半で着く道」をあえて選ばない、ということだ。遠回りしてでも、自分の足で、自分の選んだ道で、湯河原にたどり着くことを選ぶ。

その選択の中に、自分のことが見える気がする。

海が好きなのか、山が好きなのか。速く進みたいのか、ゆっくり味わいたいのか。一人で黙々と歩きたいのか、誰かと話しながら進みたいのか。最初から計画を立てたいのか、行き当たりばったりで動きたいのか。

元住吉から湯河原へ向かう道を選ぶ行為は、そのまま「自分がどんな旅をしたいか」の答えになる。


それでも、ゴールは温泉だ

どんな道を選んでも、最後は同じ場所に向かっている。

湯河原の温泉。

100キロ歩いてきた人も、自転車で駆け抜けてきた人も、電車を乗り継いで寄り道しまくってきた人も、箱根を越えてきた人も、蛭ヶ岳を踏んできた人も、全員が同じ湯船に浸かる。

そこには不思議な連帯感がある。全員が違う道を歩いてきたのに、同じゴールで汗を流している。それぞれの「旅」が、温泉という一点で交わる。

あとは何も要らない。ただ、熱い湯に身を沈めて、今日歩いてきた道を、頭の中でもう一度たどればいい。

あの商店街の角で迷ったこと。予想外に急だった坂のこと。夜の海岸で感じた風のこと。それらが全部、今日の旅の一部だったと気づく。

どんな道でも正解だった。湯河原に着いたのだから。


湯渡し逆、5月30日(土)〜31日(日)開催。 スタートは元住吉の住吉神社。ゴールは湯河原の温泉。 道は、あなたが決めていい。

湯渡し逆について

千 閑人

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