ゴールが温泉というのは、じつはすごいことだと思っている。
ふつうのイベントでは、ゴールは「テープを切る場所」か「完走証をもらって記念写真を撮るところ」だ。達成感は確かにある。でも達成した瞬間、その後に何が待っているかというと、だいたいは疲労と憂鬱な帰り道だ。
湯渡し逆はちがう。ゴールが湯河原の温泉なのだ。元住吉を出発して、100kmの旅を経て最後に温泉に飛び込む。その構図だけで、なんというか、「参加しちゃっていいですか」という気持ちになる。

湯渡し100とは、なにか
まず「湯渡し100」について知らない方のために少しだけ。
神奈川県の西の端、湯河原から東の端、元住吉まで。その100kmを歩く大会だ。2025年の第1回は超悪天候、第2回は「これ以上ないというほどのウォーキング日和」だったという。手作り感満載の100kmなんて歩いたことがない実行委員たちが、思いつく限りで運営するとにかく人間くさいイベントのようである。
正規ルートは湯河原スタート・元住吉ゴール。だが参加者から長らくこんな声が上がっていたらしい。
「温泉がゴールだったら良いのに……」
至極まっとうな意見だと思う。湯河原に向かって歩く。ゴールに温泉がある。そのほうが旅として完結している。ただ運営上・安全上の課題もあって、なかなか実現できなかった。それが今回、「まずはゆるいルールで第0回をやってみよう」という形で動き出した。
ルールは、ほぼない
これが「湯渡し逆」の最大の特徴かもしれない。
スタートは元住吉の住吉神社(5月30日8:00〜10:00受付)。ゴールは湯河原駅前の「ぶらん市」(5月31日10:00〜14:00)。それだけだ。
移動手段はウォーク、ラン、自転車、電車、車、あるいはその組み合わせ、なんでもいい。途中どこかで宿泊してもいい。寄り道してもいい。飲んでもいい。途中の温泉に入ってもいい。大山や蛭ヶ岳に登ってもいい、海を眺めてぼーっとしてもいい。コースは各自で決めてよく、湯渡し100の逆ルートをなぞる必要すらない。
唯一の実質的な制約は「小田原から真鶴の山岳ルートは暗い時間に通らないこと」。これは安全上の配慮で、夜に山岳区間に差し掛かった場合は一旦帰るか、一泊するか、電車で湯河原に向かうことになっている。
「やりながら作り上げる企画です」というのが公式の言葉で、情報は流動的とのこと。それを聞いて萎縮する人より、「それが面白い」と思える人が向いている。
旅の自由と、ゴールの確かさ
自由すぎるイベントは、逆に途方に暮れることがある。
どこへ行けばいい? 何をすればいい? 判断の連続が疲弊を生む場合もある。ところが湯渡し逆には「ゴールが温泉」という圧倒的にわかりやすいゴール設定がある。何があっても、最終的に湯河原の温泉に入れる。その明確さが、自分のがんばりを支えている。「ゴールに温泉が待っている!」と。
これは旅の構造として、かなり優れていると思う。
ランニングで言うと、「フィニッシュラインが明確なレース」と「だいたいこのあたりがゴール」という練習走では、同じ距離でもまったく違う疲れ方をする。ゴールの確かさは、身体的な動力にもなる。しかもそのゴールが、疲れた身体に最適な「温泉」なのだから、ほとんど反則的だ。
元住吉から湯河原へ、どう向かうか
実際に100km歩くとどうなるか。正規の湯渡し100コースの逆を辿るなら、元住吉から横浜の市街地を抜け、藤沢、平塚、小田原方面へと西進する。神奈川の地形を知っている人なら分かるが、平坦な海沿いのルートと、内陸を経由する丘陵ルートとで、かなり景色が変わってくる。
また湯渡し100では夜に通るコースも、この湯渡し逆では人によっては明るい時間に通ることができ、お買い物、お食事も楽しめるのだ。
途中に何があるかを考えるだけで、すでに旅が始まっている気がする。江ノ島に寄ってもいい。大磯の松並木を歩いてもいい。小田原城を眺めてもいい。真鶴の岬で一息ついてもいい。その先に温泉がある、という事実が、寄り道を肯定してくれる。
電車を使うなら、小田原まで歩いて、そこから東海道線で湯河原へ向かうのも一つの手だ。あるいは完全に電車だって構わない。それでも「湯渡し逆に参加した」と言える。公式がそう言っているのだから。
第0回に参加する意味
「0回から参加できるイベントはあまりありませんし、価値があります」と公式ページにある。
これは本当のことだと思う。
第1回よりも第0回のほうが、何かが始まる瞬間に立ち会える感覚が強い。ルールがまだ固まっていない、運営もやりながら作っている、参加者も手探りで動いている。そういう粗削りな状況の中に身を置くのは、完成されたイベントでは絶対に味わえない体験だ。
しかも参加費は3,000円(税込)。それで湯河原ぶらん市の1,000円分クーポンと日帰り温泉券がもらえる。温泉券はゴールの「ぶらん市本部」での受渡しという設計もきれいだ。ゴールした達成感と、温泉券という具体的なご褒美が同時に手に入る。
ところで、温泉に向かって歩くということ
少し個人的な話をすると、私は歩くことと「一服」の組み合わせが好きだ。長い距離を歩いた後に、温かいものを口にする瞬間の、あの脱力感と満足感が好きなのだと思う。
温泉はその究極形かもしれない。お湯に全身を沈める行為は、歩き続けた身体へのそれ以上ない報酬だ。100km分の疲労を、一度に洗い流す。そういう報酬構造をゴールに置いたイベントというのは、他にもありそうだが憧れだったようだ。
マラソンのゴールテープは、その後すぐにメダルが配られる。それはそれで感動がある。ただ、温泉は少し違う。温泉は「続きがある」のだ。ゴールした後も、そこで過ごす時間がある。仲間と話す、ぼーっとする、もう一度湯に入る。イベントが終わった後も、旅が続いている感じがする。
なんならそのまま湯河原に一泊してもいいのだ。
やってみることが、大切
「第0回はテスト的に企画されたものです。まずはやってみることが大切です」
これが公式の言葉だ。正直、こういう姿勢が好きだ。
完璧に整えてから発表するのではなく、まずやってみる。参加者も一緒に作り上げていく。そのプロセスに、完成されたイベントにはない面白さがある。失敗があるかもしれない。予定通りに行かないこともあるかもしれない。でも、それ込みで旅だ。
元住吉の住吉神社を5月30日の朝に出発して、2日かけて湯河原へ向かう。移動手段は問わない。ゴールには温泉がある。
それだけで、行く理由として、十分すぎると思う。
今日の一服
旅の終わりに温泉がある、というのは、出発前から身体が軽くなる話だと思う。ゴールのご褒美を知っていると、脚が少し勇む。湯河原の湯は、100km分の重さを引き受けてくれるだろうか。きっと引き受けてくれる。
千 閑人